職人・平良博幸の世界
投稿帽のデザイナー・職人の平良博幸についてご紹介します。
このページでは当工房の職人・平良博幸についてご紹介します。
略歴
1966年3月6日 宮古島生まれ。
30代の後半頃から「貝を磨くこと」に目覚める。
土木設計の専門学校へ進学するため、上京。
卒業後は関東で大手電力会社の通信関連の資材メーカーの工事部の一員として社会に出る。数々の大きな現場を経験した後、電話会社へと転職。建屋内の電話線や通信ケーブルの配線工事に従事。
その後、宮古島へ戻り、父親が経営する建設関係の会社へ入社。26歳で会社を引き継ぎ、多数の案件・現場を担当・経験。後に、個人単位の小さな商いを続けてきたところ、父親の代からの数人の職人たちが年齢を重ねたため引退。これをきっかけに夜光貝ジュエリーの作品制作に本格的に取り掛かるようになり、今に至る。
職人・平良博幸と夜光貝ジュエリーについて
『磨けば光る』、貝磨きの達成感
─ 貝を磨き始めたきっかけはなんですか?
平良「最初は、夜光貝ではなく高瀬貝ばかり磨いていたんです。素潜りが好きでね。海の潜って獲ってきては、中身は食べて。貝を磨くと、ボタンになって売れるっていう話を耳に挟んで、なんとなく『じゃあ、磨いてみるかな。磨いたらどうなるかな?』って。」
─ 最初は夜光貝じゃなく、高瀬貝をなんとなく磨き始めた、と。
平良「そう。でも、磨いたら光るわけです、磨くほどにきれいに光ってなんだか嬉しくなってしまって。きれいに光らせることができると、達成感があって、友達が新築する時などに置物としてプレゼントしていたんですよ。そんなことを続けている間に、奥原さんが”夜光貝”のことを教えてくれたんです。」
─ 奥原さんファミリーがきっかけで、夜光貝ジュエリーの職人の道へ進むわけですね。
平良「奥原さんの妹さんが、傷ついた夜光貝を1つ持ってきてくれたことが、夜光貝を磨くきっかけになりました。『高瀬貝を磨いた経験があるなら、これ(夜光貝)も磨いて、加工できるなら傷ついたものでもピアスなんかにできるんじゃないのか?』ということになったのが、最初の始まりです。」
─ 作品を作って、奥原さんに販売してもらった、と。
平良「そう。それで、ありがたいことに、だんだんと買ってくれる人が増えてきて、欲しいといってくれる人が増えてきたので、さらにさらに、どんどん磨くようになりました。笑。」
─ 夜光貝の魅力とは、ズバリ?
平良「夜光貝は磨いてみないとどういう色が出てくるのかわからないところが自分にとっては魅力です。自然なままの緑色の部分も、茶色い部分も、紺色の部分も。そのまま残してみたり、磨いて七色に光らせてみたり。高瀬貝ではこうはいきません。」
納得がいくまで試行錯誤を続ける粘り強さで、夜光貝に独自の輝きが
─ 平良さんの夜光貝ジュエリーの特徴とは?
平良「自分が納得がいくまで、何度も何度も試行錯誤を続けながら磨くからか、私のジュエリーは面白い輝き方をするようですね。どう磨けば、納得できる光らせ方に出来るのか……。ヤスリもたくさん種類がありますし、薬品もそうですね。荒い目のヤスリから試して、段々と細かい目のヤスリに変えていって、薬品もあれや、これや試してみたり。振り返ってみれば、自分が若い頃に電話会社にいた時も、一晩の内に3,000回線も接続テストを繰り返して、その中からたった1つの正解を見つけ出したりして……他人から見ると呆れるような試行錯誤と工夫は自分の人生の中でずっと繰り返してきたことですから、得意技のようなものなのかもしれません。夜光貝だって、自分が納得できるまで何度だって磨き続けますよ。」